Tおやじの日記帳~TakaWata’s diary~

主にPTA広報紙、その他の話題を書いてます!

子どもの宿題を手伝って思う

中1の娘が宿題をしている時、ときどき「これ教えて」と言われる。どれどれと見てみる。

 

国語や社会ならまだ何とか教えられる。社会はわりと好きだったので自分でも覚えているし、ヒントを出せる。だが答えは教えない。

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しかし数学と理科は全然わからない。もともと苦手だったし、今さら方程式やら何やら言われてもすっかり忘れてしまった。

 

もし今マンガやアニメのように中学生にタイムスリップしてしまったらどうなるだろう。頭の中が40代後半なので、とても毎日勉強をやる気になれない。そして学校のあの硬い椅子に座って50分も授業を受けることが耐えられない気がする。

 

そして中3なんかにタイムスリップしてしまったら最悪。高校受験はまず無理だ。

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今考えると、よく毎日勉強をしながら過ごしていたものだ。50分授業だけでも大変なのに、それを5時限も6時限も勉強していたのだ。

 

だが、あの楽しい部分の中学時代をもう一度体験できるならタイムスリップするのも悪くはない。

 

中学時代の楽しい思い出は人それぞれあるだろう。修学旅行や体育祭などいろいろある。

 

私が今もよく覚えているのは、休み時間に友だちと遊んだり、いろんなことを話したこと。そして部活動もつらかったが、とても楽しい思い出だ。

 

大人のように毎日の行動に責任がないし、とにかく自由だった。当時は苦痛にも思えた授業だってとてもありがたく思える。そして同年代の友人がたくさんいて、趣味や未来について語り合ったりできる。こんな贅沢な環境があるだろうか?

 

おそらくこのような考え方は、大人になってからでないと無理だろう。毎日家庭のため、子どものために汗水を流しながら働く。休日以外は仕事が大変で趣味の時間なんてほとんどない。

 

あー1日でいいから中学生に戻ってみたい!

 

まだ大人の社会を知らない子どもたちは、自分たちがいかに楽しい時間を過ごしているとは思わないだろう。

 

毎日勉強、宿題、部活動とクタクタになっている。子どもが感じる時間は長い。一体いつまで勉強しなければならないのか?と思う子どもは多いと思う。

 

だが、大人になればわかる。いかに自分たちは楽しい時間を過ごしているか。そして将来の進路について悩むこともあるだろうが、頑張って努力すれば道が拓けるのだ。

 

自分は勉強が出来ないからダメだ、と言ってもまだまだ取り返しがつく。

 

そしてつらいことだって、大人になれば「何であんなことで悩んでいたんだろう」と思うようになる。子どもの時代には悩むことも必要だ。大人になるための大事な過程だと思う。

 

人生は大人になってからが本番!

 

私は子どもに説教するのが嫌いなので、さり気なく頑張れ、と言っているつもりだが、はたして子どもに伝わっているか。

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そう思いながら娘の宿題をときどき手伝っている。何気に楽しい。大切な娘と会話をする楽しい時間だ。どうか中学生、高校生の楽しい中学時代を送ってほしいと切に願っている。

 

その思い出は、人生の宝となるのだから。

大人の社会をバカにしている若者へ

セブンでおでんのシラタキを口に含んで踊るアルバイト。

 

大◯屋でマスクを被りズボンを脱ぎ踊るアルバイト。

 

すき家、くら寿司などでふざけた動画をSNSにアップして楽しんでいる若者がいる。

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私たち消費者が、毎日汗水を流し働いて、食費を捻出して購入したものを口に入れる。そのようなことを考えているだろうか?

 

いや、彼らはそんなことを考えていないだろう。ちょっとした悪ふざけにしか考えていない。事の重大さなんて全く考えていない。

 

こんなことをすれば面白いヤツとして目立つ。ほんの一時だけヒーローになる。多分そんなことしか考えていない。

 

その後に待ち構える社会的制裁などツユほどにも考えていない。あの映像を見た消費者がどう思うか、本社の人間がどう思うか。全く考えていない。

 

若い頃は、ちょっとしたイタズラが楽しいという気持ちはわからないわけではない。

 

私も若い時コンビニでアルバイトをしたことがあった。たまに深夜に高校生らしき客が来て店の中で騒いでいく時もあったし、20歳前後のカップルが来て男の方が偉そうな態度で買い物をして、私の方が明らかに年上だが命令口調で物を言われたこともあった。

 

お前ら何様なんだよ?って思いながらも仕事をしていた。結構コンビニの店員はストレスが溜まる。

 

心の中で「ふざけんな!お前らに食わせるくらいなら賞味期限切れたもの売ってやろうか?」なんて思ってしまう。

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しかしそれはあくまで心の中で思うだけ。実際に行動に移すなんて考えられない。いくらストレスが溜まろうとやってはいけないことは誰にでもわかるだろうと思う。

 

行動に移してしまった彼らは、ストレスが溜まっていたかどうかはわからないが、単純に目立ちたいだけだと思う。友だちやネットの世界で目立ちたい。それだけだ。

 

スゴイことやったな!なんて一部の人間にウケることしか考えていないと思う。成人式で暴れる若いヤツらと同じレベル。

 

問題の動画には顔がしっかりと写っているものもある。テレビではモザイクがかかっているが、ネットに出回っている動画ではモザイクなしの動画もある。今後就職活動に大いに影響を及ぼすだろう。

 

若いから許されるという考え。それは甘すぎる。やってはいけない一線を越えてしまっているのだ。これだけテレビなどで報道されて、彼らは自分のやったことの重大さを身にしみているだろうか?

 

これからコンビニや飲食店でアルバイトを考えている若者に物申す。大人の社会を甘く見ないでほしい。特に衛生環境が問われる業種でルール違反をすれば、想像以上に罰が待っている。

 

自分が食べる側だったらどう思うか?よく考えてほしい。

30年前、新聞配達で買ったレコードプレーヤー

今から30年以上前の中学生の頃、レコードプレーヤーがたまらなく欲しかった。

 

CDプレーヤーがまだ一般的になる前で、店に行くとシングルやアルバムレコードがたくさん売っていた。

 

年が8つ離れた私の兄は、素晴らしいステレオを持っていた。中学、高校で新聞配達のバイトをして購入した。

 

たまにそのステレオでレコードからカセットテープに録音してもらっていたが、私としてはどうしても自分専用のプレーヤーが欲しかった。

 

そこで兄の真似をして、新聞配達でレコードプレーヤーを買おうと決めた。

 

中学2年の春、新聞配達のバイトを始めた。朝5時に起きて新聞店に行き、50件くらいの家に自転車で配達をする。

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春から秋まではとても楽しかった。早朝で人があまり起きていない町の中を自転車で走るのはとても気持ちがいい。

 

配達を終えて家で朝食を食べて学校へ向かう。途中自分が配達した新聞がまだポストに入っているのを見ると、まだこの家の人は起きてこないのかな?などと想像するのが不思議と楽しかった。

 

同級生たちの知らない世界を知っている気がしてとても面白い気持ちになった。給料は1ヶ月6000円。当時の中学生には大金だ。

 

半分貯金、半分小遣い。そう思ってもお金があるとどうしても欲しいものが次から次へと出てきて、なかなか貯金が貯まらなかった。

 

そうしているうちに季節が秋から冬を迎えると、楽しかった新聞配達が苦痛になってくる。11月になると早朝の風がとても冷たい。1、2月はジャンパーを2枚着込んで頑張った。

 

次第に雪が降ってくる。なんといっても大雪の日は大変だった。自転車のカゴに大量の新聞を入れて雪の中を走るのはとても難しい。

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雨や雪の日は新聞をビニール袋に入れるが、雪でバランスを崩して転ぶ。ビニール袋に入れた新聞が散らばる。雨と違って急いで雪を払えばあまり濡れない。だが転ぶと「あー、もう嫌だー!」となる。

 

しかし新聞配達というのは遊びではない。途中で投げ出したらとんでもないことだ。そこは部活で培った根性で何とか乗り切る。

 

雪の日は普段より1時間ほど時間がかかった。家に帰って急いで朝食を食べて学校へ向かう。

 

そんな苦労をして、やっとレコードプレーヤーを買えるお金が貯まった。今は大手に吸収された電器店でVictor製の14,800円のレコードプレーヤーを買った。

 

同時に初めて買ったレコードは、最近再ブレイクした荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」。買った日に嬉しくて10回以上は聞いた。

 

その後も新聞配達を続け、給料を貰うたびにレコードを買った。一番思い出に残るレコードは、サザンのアルバム「kamakura」。

 

だが数年後、やがて時代はレコードからCDの時代となり、高校生の時CDラジカセを買った。あのレコードプレーヤーは物置の中へと追いやられた。

 

それからは当然レコードを買うことはなくなり、CDを買って音楽を楽しんだ。

 

あれから30年。この間実家に行った時、あのレコードプレーヤーを見つけた。電源を入れればレコードを聞けるだろうが、その時は聞こうとは思わなかった。

 

しかしそのプレーヤーを眺めると、少年時代の思い出が次々と蘇る。新聞配達や一生懸命打ち込んだ部活動。そして今もなお付き合いのある友だちと遊びまくった青春時代。

 

レコードプレーヤーを今住んでいる家に持って行こうかと思ったが、そっと物置に戻した。もっと年をとって人生を振り返る年齢になった時にこのレコードプレーヤーで音楽を聞いてみようと思った。

 

その時に「ダンシングヒーロー」のレコードの歌詞を見ながら聴くと、少年時代の思い出がたまらなく蘇ってくるだろう。楽しみはその時までとっておこう。

バレンタインデー 今むかし

2月14日はバレンタインデー。中学時代、高校時代の私にとって、とても迷惑なイベントだった。

 

学生時代の私は、女子とおしゃべりなんてとても出来なかった。小学生の頃は何とも思わなかった女子の存在が、中学生ともなるととても敷居が高くなった。

 

中学校はまだ良かった。学校の先生が厳しくて、チョコの受け渡しなんてバレたらどんな目に合うか。

 

高校生になると自由なので、もらえるヤツはもらってた。羨ましい。そして少しにくらしい。

 

男子たるもの、2月14日は何かを期待して学校に行くものである(^^)。しかし毎年空回り。そりゃ女子と満足に話も出来ないのにもらえるわけがない。

 

さみしい思いで家に帰ると、母と姉からチョコをもらえた。いらねーよ、なんて言いながらも100円の板チョコをしっかり味わいながら食べた。母と姉の気遣いが嬉しかった。

 

あれから30年。すっかりバレンタインデーなんて意識せずに毎日を過ごしていると、2月14日にはちゃんと妻と娘がチョコを用意してくれている。

 

妻には悪いが、何と言っても娘からのチョコが嬉しい。学生時代に全然もらえなかった悔しさなんて一気に吹き飛ぶ。男親にとって、娘は特別な存在だ。

 

世界一かわいい存在の娘からのバレンタインのチョコは、毎日の仕事疲れやストレスから解放される贈り物。さあ果たして今年も娘からもらえるだろうか?

500円札の思い出

小学生の頃、500円札があった。岩倉具視が描かれている紙幣だ。たまにおばあちゃんに小遣いをもらえる時、伊藤博文の1000円札か500円札だった。

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1982年に500円貨幣が発行されるまで、小学生の私にはなじみのある紙幣だった。

 

小学3年生の頃だったか。友だちと学校から帰る時、道端に500円札が落ちていた。思わず拾って「どうしよう?」と友だちに聞いた。

 

拾ったお金を自分のものにしてしまうと、それは犯罪になると知っていた。今考えれば少額のお金だし「もらっちゃえ!」なんて考えるかもしれない。(ホントはいけないことだが)

 

友だちも「うーん、使っちゃえば?でもなー」なんて言う。その頃まだ純粋な小学生だった私は、この500円札をどうしていいかわからなかった。

 

当時の小学生にとって、500円は大金だ。今130円の缶ジュースが自販機で90円、週刊少年ジャンプが150円で買えた時代。駄菓子屋に行けば何でも食べ放題である。

 

誘惑に負けそうになった。しかし落とした人は困っているだろうなあ、とも考えた。あれこれ考えているうちに家に着いた。

 

とりあえずその500円札を茶の間においた。あとで親に聞いてみよう。

 

すると遊ぶ約束をしていた友だちが家に来た。拾ったお金の話をしたり、ボードゲームを広げて遊んだ。

 

私がトイレに行って帰って来ると、突然友だちが用事を思い出したと言って帰ってしまった。ふと500円札を置いた場所を見ると、ない!

 

遊ぶのに夢中でどこかに落ちたか?と思って必死に探した。やはりない。もしかしたら友だちが盗んだか?

 

小学3年の私に、500円を同級生が盗むなんて想像が出来なかった。しかし現実的に考えて、あの友だちが盗んでいったとしか思えなかった。楽しく遊んでいたのに突然帰ると言いだし、その直後に500円札がない。大人が考えれば犯人は間違いなくその友だちだが、当時の私には理解できなかった。

 

その後親が帰ってきたが、このことは話さなかった。親が友だちの家に電話するかもしれないし、みすみすお金をとられたことに対して怒られるかなと思ったからだ。

 

次の日、別の友だちと駄菓子屋へ行った。当時の駄菓子屋にはゲーセンにあるようなゲーム機がおいてあった(ドンキーコングやパックマンが50円で遊べた)。すると昨日遊んだ友だちがジュースやお菓子を食べながらゲームをしていた。

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当時駄菓子屋へ行く時は、ゲームを1回、お菓子を1個(100円くらい)が普通だったが、その友だちはお菓子をたくさん買い、ゲーム用の50円玉を4枚くらいお菓子の横に置いていた。間違いない。こいつが盗んだんだ。

 

怒りがこみあげて思わず「昨日の500円知らない?」と聞くと「知らない。俺も小遣いもらったんだ」と言う。ダメだ。証拠がない。

 

あまりにムカムカしたので家に帰って他の友だちと遊んだ。しかし面白くない。友だちだと思ってたやつに裏切られた。小学3年にして、頭のいいやつは怖いなと思った。

 

その後、あの友だちが急性盲腸で入院した。罰があたったんだと思った。私もあの500円札をネコババしようとしていたのは事実だった。だからあんなに悔しかったんだと思う。しかしその金を盗んで遊びに使った友だちは入院するはめになってしまった。神様はちゃんと見ているんだと素直にそう思った。

 

今、自分の子どもには「人さまに迷惑をかけると必ず自分に返って来る」といつも教えている。40年以上生きてきて、これは本当のことだと思う。

 

あれからめったに500円以上のお金を拾うことなどほとんどない。たまに100円や10円を自販機の近くで見つけるが、警察に届け出るのもちょっと…と思ってそのままにしておく。落とした人が気づいて探しに来るかもしれない。

 

他人の落としたお金で遊ぶと罰があたる。子どもの頃にこのようなことを経験(見る)すると、大人になってもその教訓が身にしみていることに感謝する。

 

「他人に迷惑をかけてはいけない」である。

カセットテープ

子どもたちが音楽を聴いている。もちろんスマホで。YouTubeやら何やらで最新の音楽を聴いている。

 

便利な時代だ。聴きたい音楽を自宅でダウンロードすればすぐ聴ける。わざわざ店に行かなくてもチョンチョンとクリックすればいつでも聴ける。

 

私が高校生の頃、音楽を聴こうと思ったら、レコードを買ってカセットテープに録音して聴いたものだ。レコードを何枚も買えないから、大好きな歌手のレコードは購入して、それ以外の音楽は友だちから借りて録音して楽しんだ。

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カセットテープにもランクがあり、高音質のメタルテープ、クロームテープ、普通のノーマルテープがあった。メタルテープは1つ1000円の物があり、当時大好きだったサザンオールスターズ(今も大好き!)を録音してた。

 

カセットテープに録音するとレーベル(曲名を書くところ。レーベルって言うんだっけ?)の側面にアルバム名をキレイに書くのが楽しみだった。レコードショップにはシールまで売っていて、それも丁寧に貼る作業も楽しかったものだ。

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親にウォークマンを買ってもらった時は嬉しかった。学校から帰ると寝るまで聞いていた。

 

その後CDが普及してMD(ミニディスク。若い人わかるかな?)、mp3と音楽の聞き方が変わった。

 

今やあっという間にダウンロードして音楽を聴ける。とてもキレイな音質だ。レコードから録音するとやや雑音がプチプチと入るのが難だったが、今思えば味のある音だった。

 

たまにホームセンターに行くとまだカセットテープが売られている。ラジカセもある。年配の方にはまだまだ根強い人気があるようだ。

 

今の時代、カセットテープで音楽を聴こうとは思わないが、カセットテープを見ると自分の青春時代を思い出す。部活を一生懸命やっていた中学時代、友だちと遊びまくった高校時代。楽しかった思い出が蘇る。

 

今後音楽業界ではどんな革命が起きるのだろうか。30年前、データで音楽を聞くことなど想像すらしなかった。30年後はまたも想像できないスタイルで音楽を聞くことになるのかもしれない。

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私の子どもたちは30年後「mp3で音楽を聴いていた時代が懐かしいなぁ」とでも言うのかな?その頃私は時代についていけるだろうか?(^^)

無愛想な先生

子どもたちが通う学校で役員を務めていると、時々職員室へ寄ることがある。

 

中学校。PTA委員会の用事が主である。ノックして戸を開けると教頭先生と教務主任の先生がいる。この先生たちはいつも丁寧なあいさつをしてくれる。

 

こちらから「お忙しいところすみません。失礼します」と教頭先生に一礼した後職員室の方を向いて「いつもお世話になってます」と先生たちに声をかける。

 

ほとんどの先生は笑顔であいさつをしてくれるが、いつも机に向かったままの先生がいる。

 

この先生、私が他の先生にあいさつをしながら近くに来てもそのまま。すぐ後ろにいて他の先生と話をしていてもそのまま。用を済ませて帰る時もそのままである。

 

よほど忙しいのだろうか。しかし他の先生も忙しいのにちゃんとあいさつはしてくれる。こちらも別にていねいな対応は求めていない。ただ私はこの学校の保護者で、時には仕事を抜けてくる時もある。

 

こちらもヒマだから遊びに来ているのではない。全くの無反応はとても居心地が悪くなる。この先生にしてみれば悪気はないかもしれないが「私は忙しいから」と心の声が聞こえてくるような気がする。

 

一度用もないが声をかけたことがある。するとやっとこちらを見てあいさつする。作り笑顔で。

 

これが民間会社の対応だったらどうだろう。客として訪れた会社であいさつもしない人がいたら、この会社の経営方針を疑ってしまう。あまり関わりたくなくなるだろう。

 

私も小中学校でPTA会長をはじめいろいろな役員を務めたので、先生の仕事の大変さはよくわかる。勤務時間中はなるべく用を済ませたら早く帰る。しかし近くにいるのに顔も合わせず無反応というのは、悪い意味での「昔ながらの公務員のお役所仕事」に見える。

 

今、先生たちは大変だ。不祥事があちこちで起こり、勤務校によっては経験のない部活動の顧問をして、慣れない指導でミスをしようものなら保護者からたちまち文句を言われる。

 

私はそんな先生たちを間近で見て、とても大変な仕事だなあといつも思う。私たちのように「品物」を作る仕事とは違って「人間」を育てる仕事なのだ。忙しい中、笑顔であいさつや対応をしてくれる先生には好感を持ってしまう。

 

私たちだって忙しいのだ。忙しいからとかの理由は通用しない。職員室に担当学年ではなくても保護者が来たならば、一言あいさつだけでも出来るはず。

 

小さなことから気をつけなければ、ますます保護者と先生の距離は遠くなっていく。先生という職業は、なくてはならないものだから、自分から気がついてほしいと思った。

明石市長のパワハラで思い出した、昔の先生のパワハラ

最近のニュースで、明石市長のものすごい暴言を聞いた。権力を振るい、職員に対するパワハラ発言がひどい。

 

話す相手が自分より弱い立場の人間に対して容赦ない。かなり過激な発言まであった。

 

あまり関係のないことのようにも思えるが、30数年前の中学生時代のあることを思い出した。

 

当時私は中学生。その頃はまだ学校で体罰があった時代で(一部ではあるが)男性の先生は怒るとほとんどの先生が体罰をしていた。今では絶対に許されない体罰が許された(?)時代だった。

 

宿題を忘れた、授業中マジメに勉強していない、などの理由で、よく私も叩かれたものだ。

 

K先生という人がいた。女性で50代半ば。音楽の先生だった。

 

女性の先生なので、怒っても体罰ということはなかったが、この先生「言葉の体罰」がとてもひどかった。

 

中1になって初めての音楽の授業。自己紹介や先生の話で授業が終わろうとしていたが、突然「私ははっきりとものを言うタイプだからハッキリ言う。お前とお前とお前、私はお前らみたいな男の腐ったようなのが大嫌い」

 

みんな唖然としていた。いくら先生が厳しい時代とはいえ、生徒を名指しして「私はお前がキライ」という先生は初めてだった。

 

名指しされた生徒は、確かに大人しい性格であまり目立たない男子生徒たちだった。男子たるもの元気が一番!とでも言いたかったのか。しかしみんなの前でそんなことを言うなんて信じられない。言われた生徒は授業のあと落ち込んでいた。

 

そして他のクラスのMくんという生徒がいた。小学校の頃から弱々しく、典型的ないじめられっ子だった。勉強・スポーツが全くダメで、いつも誰かにからかわれ、いじめられていた。

 

ただ当時のいじめは「集団無視」というものがなかった。そういう考え方が子どもたちにはなかった。いじめ方は、暴力、からかいなどであった。どちらもひどいものであることは間違いないが。

 

普通先生という立場なら、このような子に対しては優しく、そして的確なアドバイスなどをすると思うが、あのK先生は違った。

 

大勢の前で「お前はバ◯でしょうがない」「弱虫」「見ていて腹がたつ」などの暴言を平気で吐いた。そして「お前は特殊学級(今でいう特別支援学級)に行け」とまで言っていた。まさしく「言葉の暴力」だ。

 

ここまで言うなら何か「愛のムチ」という意味もあって言っているのか?と思う方もいるかもしれないが、私が思うにそんなことは全くなかった。本当にK先生はMくんを嫌っていた。

 

 Mくんもやや発達障害なところもあり、言われるがままだった。周りの生徒も私を含め何も言わなかった。というより言えなかった。

 

当時は先生の地位は今では考えられないくらい高かったように思う。体罰を受けても厳しいことを言われても「先生に叩かれたり怒られるのは自分が悪い」という考え方があったし、保護者も同じ考え方だった。Mくんの親もよく黙っていたものだ。本当に今では考えられない。

 

今のご時世、こんな先生がいたら全国ニュースになるほど大問題だ。

 

パワハラが問題となって久しいが、当時はパワハラという言葉や考え方が全くなかった時代。よく私たちもMくんも耐えていたと思う。いじめや体罰の問題が新聞、テレビ、ネットなどですぐさま問題になる今だったら、このK先生は即辞職、学校の名前が全国に流れるほどだ。そして他の生徒も保護者や他の先生に報告し、またたく間に世間に広まるだろう。

 

しかしこのMくん、あまり深く考え込むということはなかったようだ。先生にここまで追い込まれるようなことを言われているにもかかわらず、毎日学校に来ていた。同級生にいじめられても卑屈になることなど全くなかった。

 

実は今思えば恥ずかしいことだが、私もMくんのいじめに加担してしまったことがある。みんなにからかわれていた時に、私も同じくからかう側にいたのだ。

 

誤った考え方だが、自分より劣っていると思う(間違った考え)人間を見下すことによって優越感に浸る。こんな馬鹿げた考えでMくんをひどい目に遭わせてしまった。猛反省だ。

 

でもMくんはその後も学校に毎日来た。一日も休むこともなく、高校にも進学できた。

 

高校でも相変わらずいじめられていた。しかし毎日学校へ来て、無事に卒業し、立派な社会人となった。

 

そして私たちが中3くらいだったか。体罰がやっと問題化してきた。先生たちが一斉に体罰をやめた。そしてK先生のパワハラもなくなってきた。

 

おそらく教育委員会からの指導があったのだろう。突然体罰やパワハラがなくなったのは、正直戸惑いを感じるほどだった。

 

あれから30数年。先生たちの地位は下がり続け、今では保護者が先生を叱責する時代である。逆に先生たちが気の毒な気がする。

 

体罰は今の時代では絶対に許されない。しかし体罰によって、殴られる痛みを知った。私たちの世代にしかわからないかもしれないが、そこには「真剣に自分たちを怒ってくれるありがたみ」が感じられた。若い人たちには理解できないかもしれない。

 

しかし言葉の暴力はもっと恐ろしいものだ。

 

言葉の暴力は、時には体罰より心に大きな傷を残す。体罰というものを受けた私たちでも、あのK先生のパワハラという言葉の暴力はひどいものだったと感じる。それほど「言葉の暴力」は怖い。

 

あの明石市長にも、「言葉の暴力」の恐ろしさをわかってほしい。言う方は何気なく言ってしまうが、言われた方はいつまでも遺恨を残すものだから。

 

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町田の都立高校の騒動

世間を騒がせている東京・町田の都立高校の暴力の件について。

 

1人の生徒が50代の教師に耐え難い罵詈雑言を浴びせ、生徒の友人がスマホで撮影する。

 

教師も堪忍袋の尾が切れたのだろう。ついに生徒に暴力を振るってしまった。

 

暴言を吐いた生徒は、殴られるのを覚悟して教師を挑発していたようにも見える。

 

その動画をSNSにアップして喜ぶ。理解できない。

 

暴力を振るってしまった教師はたしかにいけないことをした。しかし気持ちは充分にわかる気がする。

 

私ももうすぐ50代の年だ。今高2の息子がいる。幸いなことに息子やその友だちはとても素直な子が多く、性悪な子はいないように見える。

 

もしあの子たちが私に向かって同様の暴言を吐いてきたらどうだろう。その様子を動画で撮影して楽しんでいると知ったらどうだろう。

 

世の中のことなどまだわからない若造が!とカーッとなってしまうかもしれない。

 

おそらくあの教師も限界まで我慢はしたと思う。だが今のご時世、暴力は絶対に許されない。

 

話がそれるが、私の高校生の時代は、まだ教師による体罰があった。柔道部顧問のA先生という人がいたが、ちょっとでも不真面目な態度の生徒を見ると、容赦なく平手打ちが飛んできた。

 

怒らなければとても良い先生だった。しっかりとした信念があった先生だ。ただ「柔道の達人で怒らせるとマジで怖い」という事実があったから、その先生の前ではヤンキーグループの生徒も大人しかった。

 

まだ教師の「愛のムチ」が許された時代だった。しかし今は違う。

 

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さて、今回の事件、なぜこんなことが起きるのか。ゆとり教育?違う。小中学校の教育?違うと思う。

 

私の独断の考え方だが、ハッキリ言って「家庭のしつけ」が悪いのではないか?

 

最近はちょっとしたことで学校が悪い、先生の教育が悪いと学校の文句を言う人が多い。おそらくそのような人は子どもの前でも先生の悪口を言っているのだろう。

 

子どもは親の背中を見て育つ。親が先生をバカにした発言をしていれば、子どもも先生たちを舐めまくる。

 

子どもにとって親は、自分の道しるべなのだ。親が他人を見下した態度をとっていれば、その子も他人を見下すようになる。それが普通だと思ってしまう。

 

聖人君子とまでいかなくても、他人に迷惑をかけない、目上の人を敬うという気持ちで生活していれば、素直な子どもが育つはずだ。

 

殴られた生徒の親は、これからどういう対応をしていくのだろう。あくまで殴った教師が悪いと言い張るのだろうか。

 

今回の場合は、殴った教師も悪いが、生徒にも罪はある。わざと殴らせて、その教師のこれからの人生を棒に振らせることになりかねない。

 

例えば、満員電車で無実の人を痴漢に仕立て上げて慰謝料を巻き上げるということと何か似ている。

 

あの生徒と親には猛省を促したい。過ちを犯したとしてもまだ高校生。子どもなのだ。大人をバカにすることの愚かさを噛み締めてほしい。

 

あくまで私見だが、今回は喧嘩両成敗、ということで、何とか教師も生徒も良い方向に向かってほしいというのは間違いだろうか。

PTA広報紙 卒業特集 〜PTA広報紙を作ってみよう!7~

卒業する子どもへ向けて

卒業する子どもが載る最後の広報紙作成

年度末の3学期が始まり、子どもたちは寒さに負けず、元気に通っています。広報委員会の皆さんにとっては、年度末に発行するPTA広報紙で忙しい時期です。

 

PTA広報紙は年3回、年2回発行など学校によって様々ですが、3月に発行する学校は多いと思います。

 

3月に発行といえば「卒業特集」ですね。小中学校それぞれの最上級生は、学校生活において下級生のお手本として頑張ってきました。

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広報委員会の方は、卒業生へのはなむけとして、いろんなメッセージが詰まったPTA広報紙を作れる「権利」があります。次のステップへ歩みだす子どもたちへ、ステキなプレゼントをしちゃいましょう!

 

卒業特集は何がいいか

私の場合の作り方

卒業特集とはいっても何をすればいいのか悩みます。小規模校なら卒業生全員の写真を大きく入れたりすることも可能ですが、大規模校ともなると何百人もいると思うので難しいと思います。

 

私の地区の小中学校は、少子化の影響が大きく、子どもの人数が減り続けています。ここで紹介する特集は、小規模校ならではの特集となってしまいますが、大規模校の広報担当の方も何かのヒントになれば幸いだと思っています。

 

表紙は全員の集合写真がいいかと思います

まず表紙。ここには卒業生全員の集合写真1枚を入れると、この号は卒業特集だということが一目でわかります。真面目な写真を入れるよりは、全員にガッツポーズなどをしてもらって元気な写真を心がけると、とても生き生きとした表紙になります。

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皆さんそれぞれに仕事があり忙しいので担当の先生に撮影をお願いするのが一般的だと思いますが、思い描いたイメージがあるのなら、保護者が撮影した方が良い写真が撮影出来る場合もあります。

 

特に自分の子どもの同級生なので、知っている子も大勢います。「○○くーん!もっと元気よくー!」なんて保護者さんたちが頑張っている姿を見せると、案外子どもは喜んでくれます。子どもの友だちの元気な子をちょっとイジッて場を和ませたりするといいですね。

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どうしても無理なら、なるべく元気な先生に音頭をとってもらって撮影してもらいましょう。

 

そして学校に出向いて普通に「撮影しますよー」と言われても相手は子ども。元気な写真を撮りたいならば、こちらが楽しそうに大きな声で子どもたちを盛り上げましょう。大人のやる気は不思議と子どもたちに伝わります。担当の先生に協力してもらって、元気一杯の写真を撮影しましょう。

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特に中学3年生ともなると、恥ずかしがる子が多いです。しかし「こちらが委縮して撮影すると、気持ちが子どもに伝わり、固い感じがする写真」になりがちです。少々恥ずかしくても元気よく声をかけましょう。子どもたちにとっては記念になる広報紙です!

 

卒業特集のページ

表紙の写真とは別に卒業生の写真をメインに配置します。人数が少ないなら手間暇かけて全員の個人写真。ある程度の人数なら、表紙の写真より少しくだけた写真を入れると読み手も飽きずに見てくれると思います。

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私の場合は、卒業生の写真の他にPTA会長や校長、卒業生の担任の先生などの写真も入れます。卒業生に向けてはなむけの言葉は大事です。しかし、長い文章は避けましょう。だいたい100字くらいがベストです。保護者視点だとあくまでもメインは卒業生です。

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軽いアンケートも入れると楽しくなる

小人数なら一人ずつ「将来の夢」や「保護者に対して感謝のことば」など。ある程度の人数なら「楽しかった思い出」や「在校生にむけて伝えたいこと」などのアンケートを集計して載せても面白いです。

 

中学校の場合、生徒たちに「卒業をテーマにした俳句・川柳」を書いてもらったことがあります。真面目に書いてくる生徒が多い中、たまに天然のような面白い作品が出てくることもあります。

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保護者からのメッセージ

保護者に卒業する子どもへ向けたメッセージを書いてもらうのもいいですね。「○○くんのお母さん、いいこと言うなー」など、読んでいて楽しいですね。

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最終ページは役員さんの感謝の言葉で締める

最終ページは、1年間子どもたちと学校を繋ぐ役割を果たしてきた役員さんの写真を入れると、PTA広報紙として締まる感じがしますね。会長さんなど主な役職の方の感謝の言葉も入れましょう。

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ページが埋まらないなら、PTAに関するニュースを入れてみるといいですね。

 

卒業号は「これで役員終わりだー」ではなく「子どもたちへのプレゼント」と考える

全ては子どもへの愛情表現になれば

1年間の広報委員活動がまもなく終わります。最後の号を発行する時、1年間の役員から解放されます。しかし「大変だった」と考えて作ったものと「卒業生への贈り物」と考えて作ったものは明らかに違います。

 

子どもは卒業し、中学校、高校へと進学していきます。そして子どもが大人になった時、保護者が当時一生懸命作成した広報紙を見て、子どもが喜んで眺める姿を思い浮かべてみてください。嬉しいですよね!子どもの大切な思い出の一つとなる広報紙を作成してよかったと思うはずです。

 

PTA広報紙作成は確かに大変な作業です。しかし楽しんで、そして子どものために一生懸命やれば、その気持ちが形となって表れるものです。皆さん、PTA広報紙を楽しんで作りましょう!

 

※卒業特集が入ったリンクです。

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