Tおやじの日記帳~TakaWata’s diary~

主にPTA広報紙、その他の話題を書いてます!

500円札の思い出

小学生の頃、500円札があった。岩倉具視が描かれている紙幣だ。たまにおばあちゃんに小遣いをもらえる時、伊藤博文の1000円札か500円札だった。

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1982年に500円貨幣が発行されるまで、小学生の私にはなじみのある紙幣だった。

 

小学3年生の頃だったか。友だちと学校から帰る時、道端に500円札が落ちていた。思わず拾って「どうしよう?」と友だちに聞いた。

 

拾ったお金を自分のものにしてしまうと、それは犯罪になると知っていた。今考えれば少額のお金だし「もらっちゃえ!」なんて考えるかもしれない。(ホントはいけないことだが)

 

友だちも「うーん、使っちゃえば?でもなー」なんて言う。その頃まだ純粋な小学生だった私は、この500円札をどうしていいかわからなかった。

 

当時の小学生にとって、500円は大金だ。今130円の缶ジュースが自販機で90円、週刊少年ジャンプが150円で買えた時代。駄菓子屋に行けば何でも食べ放題である。

 

誘惑に負けそうになった。しかし落とした人は困っているだろうなあ、とも考えた。あれこれ考えているうちに家に着いた。

 

とりあえずその500円札を茶の間においた。あとで親に聞いてみよう。

 

すると遊ぶ約束をしていた友だちが家に来た。拾ったお金の話をしたり、ボードゲームを広げて遊んだ。

 

私がトイレに行って帰って来ると、突然友だちが用事を思い出したと言って帰ってしまった。ふと500円札を置いた場所を見ると、ない!

 

遊ぶのに夢中でどこかに落ちたか?と思って必死に探した。やはりない。もしかしたら友だちが盗んだか?

 

小学3年の私に、500円を同級生が盗むなんて想像が出来なかった。しかし現実的に考えて、あの友だちが盗んでいったとしか思えなかった。楽しく遊んでいたのに突然帰ると言いだし、その直後に500円札がない。大人が考えれば犯人は間違いなくその友だちだが、当時の私には理解できなかった。

 

その後親が帰ってきたが、このことは話さなかった。親が友だちの家に電話するかもしれないし、みすみすお金をとられたことに対して怒られるかなと思ったからだ。

 

次の日、別の友だちと駄菓子屋へ行った。当時の駄菓子屋にはゲーセンにあるようなゲーム機がおいてあった(ドンキーコングやパックマンが50円で遊べた)。すると昨日遊んだ友だちがジュースやお菓子を食べながらゲームをしていた。

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当時駄菓子屋へ行く時は、ゲームを1回、お菓子を1個(100円くらい)が普通だったが、その友だちはお菓子をたくさん買い、ゲーム用の50円玉を4枚くらいお菓子の横に置いていた。間違いない。こいつが盗んだんだ。

 

怒りがこみあげて思わず「昨日の500円知らない?」と聞くと「知らない。俺も小遣いもらったんだ」と言う。ダメだ。証拠がない。

 

あまりにムカムカしたので家に帰って他の友だちと遊んだ。しかし面白くない。友だちだと思ってたやつに裏切られた。小学3年にして、頭のいいやつは怖いなと思った。

 

その後、あの友だちが急性盲腸で入院した。罰があたったんだと思った。私もあの500円札をネコババしようとしていたのは事実だった。だからあんなに悔しかったんだと思う。しかしその金を盗んで遊びに使った友だちは入院するはめになってしまった。神様はちゃんと見ているんだと素直にそう思った。

 

今、自分の子どもには「人さまに迷惑をかけると必ず自分に返って来る」といつも教えている。40年以上生きてきて、これは本当のことだと思う。

 

あれからめったに500円以上のお金を拾うことなどほとんどない。たまに100円や10円を自販機の近くで見つけるが、警察に届け出るのもちょっと…と思ってそのままにしておく。落とした人が気づいて探しに来るかもしれない。

 

他人の落としたお金で遊ぶと罰があたる。子どもの頃にこのようなことを経験(見る)すると、大人になってもその教訓が身にしみていることに感謝する。

 

「他人に迷惑をかけてはいけない」である。