「子どもは風の子」は死語か
冬は寒いのは当たり前
家でゴロゴロ子どもたち
子どもたちが冬休みに入った。外は雪景色。寒波の影響でとても寒い。
ウチの子どもは寒いからと家の中でゴロゴロしている。暖かいコタツに寝ころんで入ってゲームをしたりマンガを見たり。
この子たちも小学校低学年までは、雪が積もれば外で元気よく遊んでいた。土日に雪が積もっていれば、よく雪だるまやかまくら作りを手伝わされたものだ。今や高校生と中学生。外で元気に遊ぶ年齢ではなくなった。
昔は寒くても外で遊んでいた
雪が降っても降らなくても、昔はよく外で遊んだ。私の親は温かい服装で遊んで来いとよく言っていたが、不思議と寒さをあまり感じなかった。新陳代謝が良かったからか?学校から帰れば毎日のように外で遊んでいたので体が鍛えられていたのか?
それでも体は正直なもので、そのうち鼻水が出る。手がしもやけになる。寒さを忘れて遊び過ぎて風邪を引く。それでも友だちと外で遊ぶのはとても楽しかった。
今は寒い時期は外に子どもがいない
今はどうだろうか。子どもの数が減ったせいもあるが、学校が終わった時間に外回りをしていても、子どもが遊んでいる姿はほとんど見かけない。空き地を見ても学校の校庭を見ても子どもがいない。
世の中が贅沢になったせいもあるかもしれない。わざわざ寒い外で遊ばなくても、家の中で十分に楽しい遊びがある。携帯ゲーム、スマホゲーム。ゲームじゃなくても録画したテレビ番組を見たりYouTubeの動画を見たり。
親が「風邪をひくから」という理由で遊ばせないかもしれない。健康や自己管理に関する考え方は、昔と比べるととても進化している。無理もないことかもしれない。
私の子ども時代
私が子どもの頃の昭和50年代、日本はすでに経済大国であった。当時の世相は、「弱くなった子どもたち」とよく言っていた。
しかしその当時はまだ、「寒くても子どもは外で遊ぶ」風潮があった。雪がちらつく神社の境内で、缶けりや鬼ごっこをしていれば体が温まり、そして何と言っても大勢の友だちと一緒に遊ぶことが楽しかった。
確か小学3年生くらいの頃、「ゲームウォッチ」が登場した。当時はとても画期的なオモチャで、みんなでワイワイしながら遊んでいたが、外で遊ぶ方が楽しかった。ファミコンはまだ無い時代である。
私の親の子ども時代
私の親の世代は、戦後の厳しい時代を生き抜いてきた世代だ。私の亡くなった父親は子どの頃、食べものが不足していた。地方なので米はあるがおかずが貧相だった。夕食にサンマが出た日にはとても大喜びだったという。
父親に聞いたことがあるが、当時の遊びは外で野球や鬼ごっこ、かくれんぼ。女の子はゴムとびなどだったろうか。
山へ行き、アケビを見つけて食べたり、芋虫を焼いて食べたりと、遊びやサバイバルに関しては名人級だ。
そんな時代を生きた人が私の親である。子どもは風の子というより「嵐の子」のようだ。
時代とともに遊び方も変わるのは仕方ないが…
子どもは風の子!と言いたいが…
私の長男が小さい頃、冬の寒い時期にキャッチボールをやろうと言ってきたことがあった。私も喜んで相手をした。次第に体が温まってくる。そのうち暑いくらいに思えてくる。
懐かしかった。子どもの頃に感じた、冷たい空気と体の暑さ。小学生時代にタイムスリップしたみたいだった。そうなんだよ。子どもの頃はこうして体を鍛えておくべきだ。
しかし周りを見渡すと冬にキャッチボールをしている家族はたまにいるが、ほとんど皆無だ。いるのはスポ少の集まりなどで活動している子たちばかり。スポ少の子も活動が終われば家の中でゲームなどをして過ごすのだろう。
風邪をひいては元も子もないかもしれない。小さな風邪が肺炎などの病気になってしまっては大変だ。しかし私たちの世代でそんなことを心配していた家庭がどれほどいただろうか?「子どもは風の子、元気な子」。昔よく聞いた言葉だが、すでに「死語」と化しているかもしれない。
時代とともに子どもの遊びも変わるだろう。健康に関する考え方も変わるだろう。でも、何かさみしい気がする。