Tおやじの日記帳~TakaWata’s diary~

主にPTA広報紙、その他の話題を書いてます!

昭和64年1月7日と平成31年4月30日

昭和64年1月7日。昭和最後の日だ。当時私は高校2年生。確か部活動の合同合宿最終日で、昭和天皇の防御をニュースで知った。

 

生まれた時から昭和。学校で賞状をもらう時は昭和〇〇年と必ずつく。昭和が当たり前だった。

 

昭和天皇が崩御され、日本は平成の時代となった。昭和に慣れ親しんだこともあり、平成という元号にはかなりの違和感があったが、新しい時代が始まるという期待感があった。

 

平成が始まった頃、私は大手の自動車部品メーカーに就職した。バブル期真っ只中。若いながらも景気の良さを肌で感じていた。

 

その後平成大不況を迎える。仕事を変え、この大不況の影響をまともに受ける。

 

以来30年を経て、さまざまな出来事があった。結婚して子どもを授かり、子どもも高校生と中学生に成長した。

 

いろんなことがあった平成が5月1日に終わる。最初は違和感があった「平成」だが、今や平成が当たり前。自分の人生の大部分が平成。

 

少年時代を「昭和」で過ごし、人間として成長したのが「平成」。私も40代後半に差し掛かった。次の時代はおそらく還暦を迎え、孫を授かる時代になるのだろうか。

 

元号が存在するのは多分日本だけだろうか?2600年以上続く天皇制。そして国が建国されて世界最古の歴史を持つ国は日本だけだ。

 

そして平成31年4月1日、新しい元号が発表される。次の時代はどんな時代になるのだろうか。元号の名称はなんだっていい。せめて良い時代になってほしい。子どもたちが何の苦しみもない良い時代になってほしい。

 

今の子どもたちに望むことは、平和な平成に子ども時代を過ごし、新しい時代に大きく羽ばたくきっかけになってほしい。そう考えれば、元号の改称も悪くはない。

 

いつの時代も、世の中を引っ張っていくのは若い人たちだ。これは間違いないことだ。

 

昭和64年1月7日と平成31年4月30日。人生で2度の改元を迎える47歳のオヤジの思うこと。

子どもは失敗して当たり前。親は何度も教育する義務がある!

人間誰でも失敗する。失敗しない人間なんてこの世にいるのだろうか?

 

最近子どもの虐待のニュースが多い。子どもが言うことを聞かないからだとか、失敗した時のしつけとか。

 

私たち大人も子どもの頃は、たくさん怒られた。しかしその怒り方には確かなる愛情があった。

f:id:TakaWata:20190323204932j:image

愛情があるから、怒られても納得できる。ゲンコツをもらっても憎らしいなんて思わない。感謝の気持ちがあった。

 

人間は多くの失敗をして、次の経験に生かすことのできる生きものだ。そして子どものうちは失敗した時の対処が未熟で当たり前。

 

そのために親がいる。先生がいる。何度失敗しても、何度も繰り返し教育する義務がある。

 

だけど最近その「親」が問題となる行動を起こす人がいる。あくまでごく一部の親だ。しつけと称して信じられない虐待を子どもに対して行う。

 

虐待する親は、自分が子どもの時に同じことをされたのだろうか。いや、同じことをされたらすでにこの世にいない。もしくはつらい記憶を背負っているはずだ。

 

自分の子どもが生まれた時を思い出してほしい。必死に生きるために大きな声で泣いていたではないか。その姿を見て感動しない人間はいない。

f:id:TakaWata:20190323204946j:image

やがて成長するにつれ、子どもは人間として生きていくためにさまざまな壁にぶつかる。その時に親として大事なことを教えていかなければならない。

 

子どもが失敗するのは当たり前。人生経験が足りないのだから。私たち大人がその都度正しいことを教えなければならない。

 

子どもの教育は、親の大切な義務だ。仕事が忙しかろうが、趣味の時間がなくなるだろうが、人間として生きていくうえで、大切なことをきちんと教えていくのは大切だ。

 

その大切なことがわからない親が多くなったということなのか。嘆かわしい世の中だ。

 

ごく一部のことなのだが、何とかしなければならないことだと思った。

 

子どもは他の何ものにも変えられない宝物である。

ブログを書くことの楽しさ

昨年の7月からブログを始めた。きっかけは、自分の子どもたちの通っている学校のPTAとして担当しているPTA広報紙。その奮闘記を記したいと思ったから。

 

www.takawata.net

PTA広報紙は、それぞれの学校のPTA広報担当の委員会が作成する広報紙。生徒の学校生活やPTAの話題を広報するもの。

 

大半の人は学生時代に学校から学期末に配られたと思う。PTA会長や校長の挨拶などが載っていたあの「何だかよくわからないけどとりあえず親に渡そう」という印刷物だ。

 

それを何とか楽しく読んでもらおうとして8年前から作り始めた。自分が印刷会社勤務で、パソコンの知識はある程度あったので、PTAの広報委員会に所属して作成を始めた。

 

1度読んだらどこかにいってしまうPTA広報紙だが、保護者の皆さんの印象に残るPTA広報紙を作ってみたいと思った。普通ならゴミ箱行きの広報紙を、記念に保存してもらえるようにと。

 

その自分が作成し続けたPTA広報紙の記録を、忘れないうちに書き記そうと始めたブログ。そして私は福島県に住んでいる。あの東日本大震災から復興する福島の子どもたちや、福島県を応援する意味でもブログを書き始めた。

 

ブログ立ち上げ当初はアクセス数が1ケタ。0の日もあった。PTA広報紙メインのブログなんてあまりにもマニアックだと思う。興味を示してくれる人はそんなにいるわけない。

 

だけどもアクセス数はあまり気にしてはいなかった。書きたいことを書く。それで充分だった。

 

ところがしばらくするとアクセス数が10〜20になってきた。

 

数ヶ月経った頃、平均50前後のアクセス数になり、今は100〜150に伸びてきた。時には突発的に200、300の時もある。

 

PTA広報紙以外にも普段思っていることも雑記として書いている。こんな自分ではつまらないと思うブログを読んでくれている人がいる。これ、すごく楽しいし嬉しい!

 

www.takawata.net

www.takawata.net

www.takawata.net

1日何千、何万もアクセス数がある人から見たら笑われるアクセス数かもしれないけど、少しでも読んでくれている人がいることがとても嬉しい。

 

自分の気持ちを込めた文章を読んでくれる人がいる。会ったことも話したこともない人が興味を持ってくれて読んでくれている人がいる。

 

とても満足感があるし、張り合いがある。特にこれといった趣味もない私であるが、ブログを書くことが大きな楽しみになってきた。

 

PTA広報紙、思い出話、普段思っていることをこれからも書き続けるつもりでいる。まもなく50代に近づいていく自分のブログを大切に育てていきたいと思うこの頃だ。

 

読者になってくれている人が確かに間違いなくいる。感謝、感謝だ。

 

読んでくれているすべての人に「ありがとうございます」です!

 

ブログは楽しい!

 

 

震災の時に役立った風呂の水

あの東日本大震災から8年が経った。早いものだ。

 

私は福島県福島市の東南の端っこに住んでいる。福島原発から70キロくらいの場所だ。

 

原発事故が起きた時は生きた心地がしなかった。避難地域が10キロ、30キロと広がるのが不安でたまらなかった。

 

地震で電気が止まり、水も出ない。携帯のワンセグでテレビを見ていたが、ここも避難勧告が出たらどうしようか?不安だった。

 

さまざまな情報がネットで流れたが、いざ自分が住んでいる地域がそうなった場合、国の情報に頼るしかない。正解かどうかはわからないが、一番安全な情報だ。

 

その後避難地域が広がることはなかったが、放射能は微量ながらここに降り注いだ。

 

数度にわたる除染作業によって、今は放射線量はかなり低い。日本の他の地域とあまり変わらない数字だ。

 

震災から8年を迎えた今日、あることを思い出した。

 

震災直後、水が出ないのは困った。コンビニやホームセンターに行けば飲料水は手に入ったが、問題はトイレだ。

 

風呂は我慢すればなんとかなるが、トイレを我慢することは大変だ。しかし水がない。水洗トイレに飲料水を使うのはもったいない。

 

そこで以前、非常時に風呂の残り湯をトイレに使うことを本で読んだことを思い出した。幸いにその時風呂には大量の残り湯があった。

 

水道がいつ復旧するかわからない。残り湯をトイレのタンクに入れた。そして1日3回くらい流すことにした。

 

少し汚い話だが、用を足したら水を流さず、朝昼晩の3回だけ水を流した。

 

また、食事の時は皿を使わずに紙製の皿で食事をした。水がないのに食器を洗うことは出来ない。どうしても汚れを落とす時は、また風呂の残り湯を少量使った。

 

そして3日後電気が復旧し、1週間後、ついに水道が復旧した。最初は赤茶色の水が出たが、しばらくするときれいな水になった。

 

放射能のこともあり、しばらくは水道水を飲み水としては使わなかったが、トイレや風呂が使えるようになった。水のありがたみが身にしみた。

 

あの後、風呂にはなるべく水をためておくようにした。風呂掃除は入浴する直前にしていた。また水が止まったら不便な思いをする。

 

避難所でもトイレが大変だったらしい。やはり十分な水がないので流せない。トイレ周辺は異様な臭いが漂っていたようだ。

 

風呂の残り湯は飲むことは出来ないが、非常時にはとても貴重な水となる。いざという時のために覚えていてよかったと思う。

幼少期の悲しい記憶

40数年前になる。私が保育園に通っていた頃の話。

 

その時毎日仲良く遊んでいたAくんがいた。何をして遊んでいたかは覚えていないが、確かに毎日何かをして遊んでいた。

 

おぼろげながら光景は目に浮かぶ。40年以上経った今でも、うっすらと目に浮かぶ。

 

誰しも小学校に入学する以前のことなどほとんど記憶にないと思う。だが確かにAくんと遊んでいたことは覚えている。

 

ある日親から言われた。Aくんが死んだと。

 

風呂に入って亡くなったと聞かされた。なぜ亡くなったのか?親が目を離してしまった隙に溺れてしまったのか?真相は覚えていない。

 

当時の私は、Aくんが突然死んだと聞かされても、まだ4歳か5歳。言われたことの意味がわからない。たぶん「ふーん」と思っていたと思う。

 

2度と会えないことの意味がわからない。かわいそうだとは思ったかもしれないが、保育園児の子どもには人の死の意味が理解出来ない。

 

次の日から私はどのようにして過ごしていたのだろうか。おそらく他の友だちと何事もなかったかのように遊んでいたのだろう。

 

保育園の先生たちが、Aくんがいなくなって、私のことをかわいそうだと言っていたのを何となく覚えている。しかし当の私はそんなことは考えていない。

 

人が死ぬことの意味がわからなかった。

 

大人になってから保育園の頃のアルバムを見た。そこにはAくんと私が一緒に写っている写真があった。

 

間違いなくAくんは生きていた。間違いなく同じ時間を過ごしていた。

 

わずか5、6年でこの世を去る。なんと悲しいことか。自我にも目覚めず死の恐怖も分からず亡くなっていく。とても悲しいことだと思う。

 

彼が生きていたらどんな人生を送っていたのだろう。もしかしたら今でも友だちで、たまには一緒に酒でも飲んでいたのだろうか。

 

同級生で彼のことを覚えているのは私だけかもしれない。彼の話題が出ることはいまだかつてない。

 

だが不思議なことにたまに思い出すことがある。幼子といえど、深く考えることが出来ない年齢といえども、衝撃的な出来事は、ちゃんと記憶に残る。

 

私も40代後半の年を重ねた。さまざまな人生の経験をした。

 

Aくんが亡くなったことは、間違いなく私にとって大きな出来事で、悲しいことだった。

 

天真爛漫に遊んでいる世の中の子どもたちも、衝撃的な記憶はしっかりと心に残るものだ。大人が考えるほど子どもはバカに出来ない。

 

時々そんなことを考える。

 

 

高校の卒業式に思う

今日息子の通う高校で卒業式があった。私の息子は2年生だが、役員として出席した。

f:id:TakaWata:20190301194157j:image

この高校は私の母校でもある。卒業してから29年経った。

 

卒業式が行われた体育館は、全てが29年前と同じだった。さすがに壁が色褪せている。

 

少子化、東日本大震災の影響で、当時360人はいた卒業生が今や40人。なんとも寂しい限りだ。

 

卒業証書授与。卒業生の名前が呼ばれる。ふと29年前の光景が蘇った。

 

18歳の私は29年前のこの場所で卒業式を迎えた。クラス代表で校長先生から卒業証書をいただいた。

 

あの時、どんな気持ちを抱いていただろう。これから始まる新生活にワクワクする反面、3年間一緒に過ごした同級生たちとの別れ。

 

卒業と言ったっていつでも会える。そう思っていた。

 

県内に残る友だち、県外に出ていく友だち。地元に残る友だちはその後も一緒に遊んだりしていたが、あれから2度と会っていない友だちもいる。

 

悲しいことに29年の間に不幸にして亡くなってしまった友だちもいる。

 

高校の3年間、それは人生でとても輝く時間だと思う。将来のために知識を詰め込み、体力が有り余っている時期の部活動。そしてなんといっても友人と遊ぶ時間がとても楽しい。全てが楽しい思い出だ。

 

卒業式。それは今までの生活に別れを告げる。進学、就職とそれぞれの道が分かれる。

 

その後の人生で新たな人との出会いがある。過去の人生よりこれからの人生が大切だ。

 

だが高校時代の友人は、一生涯の友人である。卒業生諸君、どうか友だちを大切にしてほしい。ともに勉強し、ともに語らい、ともに励んだ高校生活は人生の宝物だ。

f:id:TakaWata:20190301194217j:image

あまり言いたくはないが、この日を境に2度と会えない友人もいる。

 

私の息子は来年卒業を迎える。今は何も難しいことは考えていないようだが、あと1年になった高校生活を思いっきり楽しんでほしい。

 

人生において、高校生の時は、人が一番輝く時間。いや「瞬間」なのだから。

 

47歳のオヤジより。

駄菓子屋と三色トリノ

家の近くに「さくらや」という駄菓子屋があった。自分の記憶だと小学校に通う前からその店で買い物をしていた。

f:id:TakaWata:20190228214143j:image

私の住んでいた町は、町内の子ども会ごとにソフトボールチームがあり、夏休みになると小学校でソフトボール大会があった。

 

大会が近づくと毎日ソフトボールの練習があり、練習が終わった後に「さくらや」に寄って駄菓子を食べた。

 

当時、駄菓子屋にテーブルゲームを置く店が多かった。ドンキーコングやパックマンが50円で遊べる。ゲームを1回やって30円のアイス「三色トリノ」とうまい棒2本を食べる。合計100円。

f:id:TakaWata:20190228214157j:image

友だちと100円でとても楽しい時間が過ごせた。

 

さて、その店にはいつも優しいおじちゃんとおばちゃんがいた。私のことを「ターくん」と呼んでくれていた。

 

確か私が小学1年生くらいだったか。約40年前。日曜日の朝、駄菓子を買って家に戻ろうとした時、店から出ると大きな犬がいた。

 

首輪はなく、じっと座って私を見ていた。恐る恐る脇を通り過ぎようと歩いていくと、突然その犬が私をめがけて走ってきた。

 

怖くなり一目散にさくらやに逃げ込んだ。おばちゃんの後ろに回り込んだ。おばちゃんは笑いながら犬をなだめて追い払ってくれた。

 

おじちゃんも出てきて笑っていた。涙目の私に三色トリノをタダでくれた。犬がいないことを確認して家に帰った。

 

今思えばあの犬は私と遊ぼうと近寄って来たのだろう。しかし私より大きい犬は、ハッキリ言ってとても怖かった。

 

怖い思いをした後に家に帰った安心感で、三色トリノを食べた。とても美味しかった。

 

復刻版の三色トリノがあるらしいが、見つけたら久しぶりに食べてみたい。今いくらするのだろうか。30円では食べれないのだろうな。

 

さくらやはもう開いていない。店は当時のままだが戸は閉まったままだ。

 

しかし40年前のことだがよく覚えているものだ。

入学式の祝辞も暗記した話

 

卒業式を振り返る

卒業式は祝辞を暗記

平成28年度、私は中学校のPTA会長を務めた。さまざまな出来事があったが、やがて3月、卒業式を迎えた。

 

中学校の卒業式は、特別な意味がある。義務教育修了、青春時代真っただ中。我が子が少しであるが、大人になる瞬間だ。

 

自分の息子が中学を卒業する時にPTA会長をしていたことは、私の人生における大きな出来事だった。息子を含めた15歳の子どもたちへ、自分の思いを祝辞として伝えられた。

 

以前の記事で卒業式の祝辞を暗記した話を書いた。あがり症の私は、あんな緊張する場で祝辞を書いた紙を持つと必ず手が震えてしまう。手の震えを隠すために祝辞を暗記して卒業式に臨んだ。

www.takawata.net

 

幸いに大成功。後で他の保護者や先生方に聞いたが、原稿を読まずに祝辞を述べたことは、恥ずかしながら大きな感動があったらしい。

 

次は入学式

今度は入学式祝辞

さて、PTA会長の仕事はまだ終わらない。4月の入学式、PTA総会までは会長の任期が続く。

f:id:TakaWata:20190227211523j:plain


卒業式の祝辞を暗記して乗り切ったが、今度は入学式が待ち構える。入学式は卒業式と違って華やかなイメージがある。当時の校長先生は「卒業式ほど緊張しないよ!」なんて言っていた。確かに厳粛な卒業式に比べれば、これから始まる中学校生活に期待を膨らませて入学してくる子どもたちへ贈る祝辞である。

 

しかし私は卒業式以上に緊張する、と思った。卒業式に出席する保護者は3年間お付き合いした方々である。顔もわかるし、お話した方も多い。入学式は初対面の方がたくさんいる。

 

ここで自分のあがり症が憎らしくなる。初めて会う人が多い中で、ステージに上がって祝辞を述べる。これは予想以上に緊張度が上がる。

 

そうなると、入学式の祝辞も暗記してみようかと考えた。緊張感半端ない卒業式の祝辞を暗記したのだ。出来ないはずはない!

 

なるべくあっさりと、と思うが…

3月下旬、祝辞を作成して、またまた暗記の練習をした。卒業式よりはあっさりと短めに。華やかなイメージが大切と思うので、あまり手の込んだ内容にしないようにと心がけて作成した。

 

卒業式と比べると短めなので、暗記の方は比較的早めに覚えられた。卒業式の経験が大きかった。

 

そして入学式

いよいよ当日。意外なほど卒業式のように心臓バクバクにはならなかった。卒業式から1か月もたたないので、ある程度の「慣れ」もあったのだろう。

 

新入生入場、校長式辞。淡々と時間が流れた。この中学校は卒業式とは違って、祝辞はPTA会長のみ。そして教頭先生が「i中学校父母と教師の会会長、○○様よりご祝辞をいただきます」と告げられた。よし、行くぞ!

f:id:TakaWata:20190227211522j:plain

 

祝辞全文

PTA会長の○○と申します。よろしくお願い致します。

福島市立○○中学校新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。また、お子様の中学校入学を心待ちにしてこられた保護者の皆様に、心よりお祝いを申し上げます。

 

さて、新入生の皆さん、いよいよ今日から中学生ですね。

皆さんは今、何を感じているでしょうか?小学校とは全く違う雰囲気、大勢の同級生、大きな体育館。これから始まる中学校生活に大きな期待を抱いていることと思います。私たち大人もかつては中学一年生の時がありました。今の皆さんと同じく中学生になった喜びを感じていました。皆さんの希望に満ちた目を見ていると、私も中学時代にタイムスリップしたかのようにとても嬉しい気持ちになります。

 

中学校は一生懸命勉強に励み、部活動に熱中し、友だちと語り合うとても楽しいところです。しかし、中学時代というものは、皆さんが成長するにつれていろいろな不安や悩みも出てきます。困った時には、友だち、先輩、先生方に何でも相談してください。そして何と言っても、皆さんのことを一番良く知っていて、世界で一番の理解者で、最も頼りになる存在の、皆さんのご両親に何でも相談してください。悩みというものは必ず解決します。決して一人で悩まないでください。そして私たち飯野中学校PTAは、いつも皆さんを見守っています。困った時には必ず皆さんを守ります。皆さんの後ろには私たちがついていますので、安心して充実した楽しい中学校生活を送ってください。

 

保護者の皆さま、今日の晴れの日を迎えられましたこと、重ねてお喜び申し上げます。真新しい制服に身を包んだお子様は、今日から○○中学校という新たな環境で学び、私たちもかつて通った道、青春時代が始まります。私たち保護者と先生方で、お互いに力を合わせ、子どもたちが安心して通える○○中学校を作っていければ幸いでございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

校長先生はじめ教職員の皆さま、新入生の保護者様にとっては目に入れても痛くない、宝物の子どもたちです。3年間、大きな成果のあるご指導を何とぞよろしくお願い申し上げます。

 

お忙しい中ご臨席を賜りました来賓の皆さま、この希望に満ち溢れる新入生へのご支援を心よりよろしくお願い申し上げます。

 

 新入生の皆さん、大いに勉強や部活動を頑張ってください。新しい○○中学校の歴史を作るのは皆さんです。皆さんの活躍を期待しています。

 

以上で私からの祝辞とさせていただきます。

 

平成29年4月6日

福島市立○○中学校父母と教師の会 会長 ○○

 

 

入学式を終えて

大きな満足感

やはり緊張した。しかし暗記することによって、新入生、保護者たちの目を見ながら祝辞を言えた。大きな満足感があった。

 

同じ小学校区の保護者から「ノー原稿?ありえねー!」なんて言われたが、緊張すると手が震える私にとっては暗記しかなかった。緊張しても手が震えない人にとっては理解しがたいかもしれないが、私のような小心者にとっては手が震えるのを見られるのはとても苦痛なのだ。

 

最後に

新中学1年生にとっては、PTA会長の祝辞なんて記憶に残らないかもしれない。保護者だって、何日か経てば忘れるだろう。しかし子どもにとっては人生の節目の中学校入学式。華やかな場において、PTA会長だって少しぐらいカッコつけたっていいですよね?

 

 

www.takawata.net

ひなまつりと思春期

私の娘は今中学1年生。思春期に入っていると思うが、幸いなことに父親(私)に対する態度は変わらない。

 

この間PTAの集まりで、あるお母さんに話を聞いた。その人の家の娘は私の娘と同級生だが、父親とは全く会話がないそうだ。

 

f:id:TakaWata:20190226222647j:plain

 

娘が小さい頃、いつかは一時的に嫌われる時期が来るだろうと覚悟はしていた。思春期は、なにかと親に対して反感を持つのが当たり前だと思っていた。

 

実際私も中学生の時は、両親に反抗していた時期がある。今思えばハッキリ言って「甘え」だ。

 

親のおかげで食べさせてもらえて、学校に行って教育を受けさせてもらって、今がある。感謝しかあり得ないが、そこはまだ子ども。親の愛がわからない。

 

親も私も、誰にだって思春期がある。大人になるために必要な時期だ。とにかく親にすればとても子育てが難しい時期である。

 

自分にもそのような時があった。それが充分にわかっているから、思春期に差し掛かっている子どもの気持ちがよくわかる。

 

話を戻すが、私の娘は不思議なことに私を嫌ってはいない。とてもありがたいというか、拍子抜けというか。

 

娘が生まれて初めてのひなまつりに、自分の親から私の娘の為に雛人形を買ってもらった。何段飾りとか豪華なものではなく、お内裏様とお雛様のみの雛人形。

 

ネジを回すとひなまつりの音楽が鳴り、キラキラ光る。

f:id:TakaWata:20190226222645j:plain


数年前までこの時期には必ずこの雛人形を出して、娘のひなまつりを祝っていた。この雛人形を娘と一緒に見るたびに、健やかな成長を願ったものだ。

 

最近はこの雛人形を出すこともなくなった。小学校高学年くらいになれば喜ぶこともなくなる。

 

久しぶりに今年は雛人形を出してみようか。どんな反応をするだろうか。懐かしがって喜ぶかもしれない。

 

娘にはこれからも幸せな毎日を過ごしてほしいと願っている。そして私のことを嫌いにならないでほしい(笑)

f:id:TakaWata:20190226222646j:plain


5月には高校生の息子の為に五月人形も出してみようか?息子と娘、子どもは世界一の宝物だ。

私の好きな卒業ソング:走ってください〜沢田聖子さん〜

娘が通う中学校のPTA広報紙。ただ今、年度末の第3号を作成中。

 

さて毎年この号はページの大半を卒業特集にしている。

 

後半に卒業生の写真を大きく入れて、私なりに考えた卒業生へのメッセージを入れるページを毎年作成しているが、今年はここに歌の歌詞を入れようかと考えた。

 

そこで何の歌詞を入れるか悩んだ。中学校の卒業生といえば15歳。流行りの歌を入れれば喜ぶだろうが、私は最近の歌は全くわからない。

 

去年流行ったDA PUMPのUSAならわかるが、卒業の歌ではない。

 

私の歌の好みは80年代。90年代始めなら少しはわかるが、生意気にも90年代は洋楽ばかり聴いていたので邦楽はトンチンカン。

 

ファンの方には怒られるかもしれないが、ゆずやコブクロなどの素晴らしい歌手でもなかなかピンとこない。とても素敵な歌を唄っているが、私はピンとこない。(たぶん私だけ)

 

卒業と言って思いつくのは海援隊さんの「贈る言葉」や斉藤由貴さん、尾崎豊さんの「卒業」くらいなのだ。あ、松田聖子さんの「制服」という歌もいい。(若い方知ってる?)

 

しかし「贈る言葉」は、教師から生徒へ贈る歌。PTA広報紙は父母と教師の会の広報紙だが、実質の読者は保護者である。

 

「制服」は、男子の卒業生に憧れる女子生徒の気持ちが込められた歌。中学生を子どもに持つ親にとってはちょっと…という感じがする。

 

そこで思い出した歌が、沢田聖子(さわだしょうこ)さんの「走ってください」。

 

私が中学生の時にラジオで聞いて、とても素敵な歌だと思った。一度聞いただけで覚えられて、印象に残る歌だ。

 

シングルでは発売されず、アルバムの曲らしい。らしいというのは、発売されたのは私が小学生の頃。しょっちゅうベストテンなどにテレビ出演する歌手ならよくわかるが、沢田さんのようにあまりテレビに出ない歌手はよくわからなかった。

 

私より少し上の世代の方にはとても人気のある歌手だ。

 

だがこの曲を聞いた時、なんて素敵な歌なんだろうと思った。青春時代を応援するようなその歌詞とメロディは、私の脳裏に焼き付いた。

 

今の中学生に聞かせたらどんな反応をするだろう?英語など一切ない純粋な青春ソング。新鮮な気持ちで聞いてくれるかもしれない。

 

よし、この「走ってください」を載せてみよう。曲名と歌手の名前も載せれば、何人かは興味を持ってYouTubeで検索するかも。

 

私の中では「贈る言葉」や「制服」に匹敵するほど素晴らしい曲だと思う。

 

若い世代の人たち、特に中学生にぜひ聞いてほしい。

 

走ってください

唄:沢田聖子

 

走って下さい あなたの為に   
光る汗流しながら 立ち止まらず
走って下さい あなたらしく
この路に 決まりはないから

 

僕達は今 青春の風の中
ガラスの迷路みたいさ
手さぐりで黒い闇の中
誰もいないよ 独りきり
    

寂しさに 押しつぶされる日は
やさしいあの娘の家へ電話してごらん…

 

走って下さい あなたの為に
少しぐらい 遠回りしてもかまわない
走って下さい あなたらしく
この路に 決まりはないから
     
行く路は とても長いから
休みたくなる日もあるさ
砂時計 逆さにしてみても
時は過ぎ行く 返らない
    

デコボコの路は 走りにくい
そこが袋小路なら すぐに引き返せ!   

    

走って下さい あなたの為に
光る汗流しながら 立ち止まらず
走って下さい あなたらしく
この路に 決まりはないから

 

「この路(みち)にきまりはないから」という歌詞がとてもカッコいい。「少しぐらい遠回りしたってかまわない」もとても素敵。

引用:https://youtu.be/3u0Yt4oNj-U