幼少期の悲しい記憶
40数年前になる。私が保育園に通っていた頃の話。
その時毎日仲良く遊んでいたAくんがいた。何をして遊んでいたかは覚えていないが、確かに毎日何かをして遊んでいた。
おぼろげながら光景は目に浮かぶ。40年以上経った今でも、うっすらと目に浮かぶ。
誰しも小学校に入学する以前のことなどほとんど記憶にないと思う。だが確かにAくんと遊んでいたことは覚えている。
ある日親から言われた。Aくんが死んだと。
風呂に入って亡くなったと聞かされた。なぜ亡くなったのか?親が目を離してしまった隙に溺れてしまったのか?真相は覚えていない。
当時の私は、Aくんが突然死んだと聞かされても、まだ4歳か5歳。言われたことの意味がわからない。たぶん「ふーん」と思っていたと思う。
2度と会えないことの意味がわからない。かわいそうだとは思ったかもしれないが、保育園児の子どもには人の死の意味が理解出来ない。
次の日から私はどのようにして過ごしていたのだろうか。おそらく他の友だちと何事もなかったかのように遊んでいたのだろう。
保育園の先生たちが、Aくんがいなくなって、私のことをかわいそうだと言っていたのを何となく覚えている。しかし当の私はそんなことは考えていない。
人が死ぬことの意味がわからなかった。
大人になってから保育園の頃のアルバムを見た。そこにはAくんと私が一緒に写っている写真があった。
間違いなくAくんは生きていた。間違いなく同じ時間を過ごしていた。
わずか5、6年でこの世を去る。なんと悲しいことか。自我にも目覚めず死の恐怖も分からず亡くなっていく。とても悲しいことだと思う。
彼が生きていたらどんな人生を送っていたのだろう。もしかしたら今でも友だちで、たまには一緒に酒でも飲んでいたのだろうか。
同級生で彼のことを覚えているのは私だけかもしれない。彼の話題が出ることはいまだかつてない。
だが不思議なことにたまに思い出すことがある。幼子といえど、深く考えることが出来ない年齢といえども、衝撃的な出来事は、ちゃんと記憶に残る。
私も40代後半の年を重ねた。さまざまな人生の経験をした。
Aくんが亡くなったことは、間違いなく私にとって大きな出来事で、悲しいことだった。
天真爛漫に遊んでいる世の中の子どもたちも、衝撃的な記憶はしっかりと心に残るものだ。大人が考えるほど子どもはバカに出来ない。
時々そんなことを考える。