PTA広報紙を楽しんで作ろう 21(2016)
小学校では2度目の教養広報委員長に
2足のわらじ
平成28年度、O小学校で2度目の教養広報委員長になりました。O小学校はPTA会員数が少ないので、毎年全員役員です。一つの委員会も人数が8〜12人くらいです。その中には新入会員の方もいます。新人の方に委員長や副委員長を任せるのは大変なので、やる人はだいたい順番で決まってきます。そんな訳で今年は私の番となりました。
中学校でPTA会長なので断る選択肢もありましたが、小学校の役員もあと2年、そして難しい校長とのやり取りも考えて引き受けました。まさに2足のわらじというヤツです。
中学校はPTA会長として
中学校では会長としての仕事が始まりました。特に今年度は統合60周年の大きな事業と記念誌、記念広報紙、通常の広報紙とやることがたくさんあります。
まず小学校編集会議・作成
O小学校の今年度の広報紙は、先に述べた通り、表紙と裏表紙を私が作り、中身は全員で作ります。まず写真撮影です。
表紙は子どもたち全員の集合写真になりました。Aさんと一緒に撮影しました。
レイアウトはあまり考えずに作成。校長が面倒くさいと思いながら作ったので、自分としては上出来とは思いません。
2、3ページは先生、PTA会長、1年生紹介です。ここから委員の皆さんと一緒に作ろうと考えてましたが、そこはやはり素人さんです。うまくいきません。急きょ、ここも私が作ることになりました。しかしあまり力は入ってないです。
4ページは鼓笛パレード、5ページは運動会です。学校のコンピュータ室で作成しました。先生にワードの得意な方がいまして、レイアウトをその先生が担当し、子どもや保護者の原稿を全員で打ち込み。Aさんが撮影した写真をみんなで選び、作った校正をみんなでワイワイガヤガヤしながら作成しました。
本来ならこういう形の作成の仕方が正しいと思います。今までみんなで協力しながら作っていたとはいえ、最終的にまとめていたのは私です。
私が退会した後の教養広報委員会の進め方として、残るみなさんに実践してほしいと思いました。
ただ、仕方ない、申し訳ないけど、やはりクオリティが…。一般の方から見れば普通によく出来た広報紙かもしれませんが、昨年度まで気合入れまくって作ってた自分から見ると、ちょっと…とは思いましたが、こればかりは仕方ありません。
6ページは市連PTAの球技大会と県コンクール最優秀賞の記事、新入会員のあいさつ、編集後記です。あまり気合を入れずに作りましたが、逆にシンプルでいいデザインかな?
出来上がった校正を校長に見てもらい、次の集まりの日。さすがに先生を含めた委員全員で作ったので、鬼のような直しはないだろうと思っていましたが、全然関係ありません。すごい直しです。Nさんが書いた鼓笛パレードの記事なんて、全く違う文章になってます。先生に「いやいや記事が変わってますよ」と皮肉を言うと「んー…」と困り顔です。まあ先生にも事情があるでしょう。仕方がないのでとりあえず直しました。
そして発行。今回は「みんなで作った広報」がコンセプトでしたが、6ページのうち4ページを私が作ってしまいました。2号は4ページを皆さんに任せたいと思いました。
中学校は記念広報紙から
こちらは通常の広報紙と記念誌、記念広報紙と3本立て(o^^o)まずは6月に発行となった記念広報紙からいきます。
S前会長と構成の話し合いをしました。この広報紙は今まで作成してきた広報紙とは違いますので、深く考える必要がありました。
表紙は私がデザイン、
2〜5ページは学校の様子を伝える記事、
6、7ページは60年前に中学生だった大先輩に当時の中学校についてお話を伺いそれを記事にする。
8、9ページは生徒たちのページ。まず各部活動の写真を掲載します。そしてi中学校には、生徒たちが学校生活を送る上で守るべき「○○が丘憲法」というものがあります。10条からなる憲法のうち、第9条は生徒一人一人が自分で決めて、充実した学校生活を送るというものです。その憲法のアンケートをとって、その特集記事にしました。
10、11ページは生徒全員にアンケートを実施しました。10年後の自分と、60年後に世の中はこうなっていると思う、です。
12ページは記念式典の紹介記事です。
まずは素材集め。どのようにデザインしたら良いのか見当がつかないので、とにかく生徒や学校の写真を撮ることにしました。貴重な有給を取って学校へ行きました。
生徒たちの授業を取材
生徒の授業中の写真がいい。K校長先生の許可を得て授業中の教室で撮らせてもらいました。真剣に勉強している子どもたちですが、カメラを向けるとVサインしたり、ニコニコ笑顔。
映画を見るというクラスに行くと、映像のもとはプロジェクター。私の中学時代はビデオテープが最先端でしたが、いやー時代の流れを感じました。そういえば、昔大活躍したOHPなんてどの教室にもありませんね(^^)
給食の時間
給食の時間。ここで豆知識。ここ福島市i地区と私の生まれ育った隣のK町は、平成20年に給食が始まりました。それまでは弁当持参で学校へ行ってました。という訳で私は小中学校時代に給食を食べたことはありません。
給食のない学校は、福島県でもこの地区と会津地方の一部だけだったと覚えています。隣の町や村にあるのになんでここだけ?ということで、私はO小学校の給食試食会で初めて給食を食べました。ご飯、汁物、おかず。学校でこれだけ食べれるなんて素晴らしい!
で、取材当日の給食は、カレーでした。給食を食べたことのない私は、勉強する教室でみんな楽しくカレーを食べる。これはすごい違和感を感じます。給食を食べたことがないからですが、違和感です。
取材が終わると、記念誌のため資料室にこもり、古い写真や資料を探します。隅から隅まで探しました。本をスキャナーで取り込もうとするとバラバラになるので、全部デジカメで撮影してフォトショで修正しました。
一人っきりの学校の資料室って、なんとなく不気味ですね(^^)
大先輩への取材
さて次は昔のi中学校特集の取材。S前会長の紹介で、Tさんという方にお願いしました。Tさんは当地区が福島市と合併する前に町の教育委員長を務め、以前はPTA会長も務めた地元の名士の方です。
Tさんの自宅にお伺いし、60年前の貴重なお話を聞くことができました。裸足で学校へ通ったこと、弁当を持って来れなかった人もいたことなど。そして当時の貴重な写真や賞状などを撮影させていただきました。
Tさんはとても親切に取材を受けてくれました。おかげさまで良い特集になりそうです。
あとは生徒のアンケートと部活の写真が揃えば、作業開始です。
気合い入れて頑張るぞー!
また次回!