Tおやじの日記帳~TakaWata’s diary~

主にPTA広報紙、その他の話題を書いてます!

先生を応援したい

先生という存在

特別な存在

子を持つ親にとって、「先生」とはどういう存在だろうか?子どもに勉強を教えて、子どもに礼儀を教えて、部活動を担当してもらう。

 

私たちが子どもの頃、先生は明らかに特別な存在であった。先生の言うことはすべて正しいと思っていたし、先生に叩かれたら(現在は絶対に許されないが)悪いのは自分だから仕方のないことだと思っていた。親に言っても「お前が悪いからだ」と言われていた。

 

校長先生なんて雲の上の存在だった。私が通っていた小学校、中学校は1000人を超える生徒がいたので、校長先生も生徒全員の顔なんて覚えられないだろう。

 

昔の先生は「神」だった

昔の先生は、「愛情」にあふれた先生が多かったように思う。悪いことをしたらとにかく怒られた。今ではありえない「ゲンコツ」もあった。しかしその怒り方が、ゲンコツはなしにしても真剣だった。

 

大きな声で怒鳴られる。それだけで足がすくんだ。女性の先生でも本気で怒られると怖かった。しかし怒っているその裏では、とても愛情があふれていた。子どもでもその愛情がよくわかっていた。

 

何度怒られても先生が好きだった。真剣に怒ってくれる先生が大好きだった。

 

部活の時も、先生はとても頼りになる存在だった。その当時は、担当の先生が専門外のスポーツの先生かどうかなんて知る由もなし。先生の指示に従い練習メニューをこなした。大会などの結果はどうであれ、友だちや先生と過ごした部活動の時間は楽しかった。

 

先生の指導方針に文句を言う保護者は、はっきり言ってほとんどいなかったのではないだろうか?少なくとも私の親は、よほどのことがない限り、子どものことは先生に任せていたように思う。

 

1980年代後半から始まった先生への批判

ニュースで頻繁にやり玉にあがった

私が中学3年の頃だったように思う。テレビで「いじめ」や「体罰」の問題がクローズアップされ始めた。それまで体罰をしてきた先生が、突然体罰をしなくなった。

 

A先生という人がいたが、宿題を忘れたり問題行動を起こしたりすると、当たり前のようにゲンコツを飛ばしていた。

 

しかし体罰が社会問題化するとそれがピタリと止んだ。大人になってわかることだが、おそらく教育委員会からの指導があったのだと思う。

 

この時が先生たちの大きな転換期だったのだろう。それまで何をしても文句が出なかった保護者から、何かあるたびにクレームが出るようになり、いつのまにか保護者の方が偉くなってしまった。

 

先生が生徒を叩いた、行き過ぎた指導があったとニュースがあるたびに先生たちは「世論に叩かれた」。先生たちは萎縮せざるを得なくなった。

 

先生たちが弱くなってしまった。本来学校は人間を育てる場である。多少の厳しさはあって当然だと思う。甘い環境で育った人間が、厳しい世の中を生きていけるだろうか?

 

先生は強い存在でいてほしい

私は先生から、家庭では知ることの出来ない「社会のルールや厳しさ」を学んだ世代だ。私と同年代の方が学んだ先生たちは、私たちよりも厳しい時代を生きてきた人たちだった。

 

今の若い先生は、いわゆる「ゆとり教育」を受けた人が増えている。私たちのような厳しい教育を受けていない。そんな人間がさらにゆとり教育が進んだ今の子どもたちを本気で怒ることが出来るのか?

 

ある程度の厳しさは必要だと思う

今の日本は平和過ぎる。男女平等においては先進国の中では遅れているにしても、ほとんどの分野で成熟した国である。

 

しかし何かを忘れている気がしてならない。人間関係の希薄さ、相手を思いやる優しさ。私個人の考え方ではあるが、少年時代に厳しい教育を受けることによって、人間として大事なことを覚えていく気がする。

 

今の先生たちに望むこと

どんなことがあっても逃げないでほしい

モンスターペアレントと呼ばれる保護者からのクレーム、残業代が出ないと言われる部活動の顧問、1日中休み時間がない勤務状況。大変な仕事だ。

 

私たちは大切な子どもを預けている。義務教育の小中学校では特に先生を信じて預けている。

 

先生という職業が大変なのはわかってはいるが、私たちは先生を信じるしかない。「先生、ウチの子どもをよろしくお願いします!」